署名活動
6 Aug. 2012
8月4日より、鵜殿を守るための署名活動が始まりましたね。
SAVE THE 鵜殿ヨシ原〜雅楽を未来へつなぐ〜
正直、ほっとしています。新名神高速道路の建設凍結が解除されたというニュースをきいて、はらはらしていましたが、ほんの少し、明るいきざしが見えてきたような気がします。
37年にわたって鵜殿を守ってこられた小山先生。
鵜殿って、行った人はわかると思うのですが、たとえばの話、トイレもないんですよね。ずっと離れた出張所まで戻らなければならなくて。もちろん、駐車場もなくて。それほどまでに大切に守られてきたのですから、工事が始まる前になんとかしなければって、素人の私でも思います。署名の締め切りは2013年1月12日。
署名活動といえば、私が雅楽を始めたころもありました。「邦楽教育を推進する会」当時、学校音楽教育は西洋音楽一辺倒でした。今でこそ、学校に邦楽とか、民族音楽とか、雅楽とかのグループが出向き、予算もつくようになりましたが、そのような道すじをつけてくださったかたがたに、我々はもっと感謝すべきではないでしょうか。とりわけ、運動の始まる前にお亡くなりになった小泉文夫先生とか。そして、もし我々がそのような仕事の機会をもったとき、より真摯に取り組まなければならないと思うのです。
鵜殿のことも、我々の利益というよりは、次の世代のための取り組みですよね。
残念ながら我々は、皆が皆、マザー・テレサのような、無償の愛を捧げることのできる高潔な人間ではありません。欠点も多いし、すぐ怠けるし、損得も考えるし、嫉妬もする。近年になってようやく知ったのですが、損得を離れて何かのために行動すると、とてもすがすがしいのですよね。それだけはどうしても、お金では買えない。
まだ鵜殿に行ったことのないかたは、観察会などでぜひ、小山先生のお話を聞く機会を持たれたら良いと思います。遠いというかたは、お近くのヨシの群生地について調べてみるとか。きっと、いろいろな問題が見えてくると思います。
追記 (2014年9月30日)
その後、2013年6月24日、私は、雅楽だよりのSさん、東大教授のYさん、阪大準教授のHさんとともに上牧を訪ね、実行組合のかたのお話をうかがいました。
主観と主観とがせめぎあい、すれ違い、物事をありのままに見つめることは、なんと難しいことなのでしょうか。私自身、人の言うことは鵜呑みにしないよう心がけてきたつもりではありましたが、人のフィルターを通してしか見つめてこなかった部分もあり、大いに反省をした次第です。具体的には、小山先生おひとりが鵜殿を守ってきたように書いてしまったことです。
私が拙ブログで書いたことは、知識も足りないままに活動が始まってしまったために、大変未熟なものでありましたが、かといって、議論のつくされた成熟したものも見出すことはできません。まだまだわからないこと、解明されていないことがあって、果たして解明できるのか、解明してしまってもいいものなのかも含め、まだまだ未来の可能性というものを信じています。
この問題を通して、篳篥のヨシがいかに稀有な存在で、恵まれた奇跡ともいえる偶然の積み重ねによってはぐくまれてきたものだという認識を持つことができ、自然の恵みに感謝の念をあらたにしました。
雅楽界はきわめて保守的なところです。そこにあって、署名が約7万9千筆(2013年11月18日現在)集まったということは、大変重たいものがあると考えます。
8月4日より、鵜殿を守るための署名活動が始まりましたね。
SAVE THE 鵜殿ヨシ原〜雅楽を未来へつなぐ〜
正直、ほっとしています。新名神高速道路の建設凍結が解除されたというニュースをきいて、はらはらしていましたが、ほんの少し、明るいきざしが見えてきたような気がします。
37年にわたって鵜殿を守ってこられた小山先生。
鵜殿って、行った人はわかると思うのですが、たとえばの話、トイレもないんですよね。ずっと離れた出張所まで戻らなければならなくて。もちろん、駐車場もなくて。それほどまでに大切に守られてきたのですから、工事が始まる前になんとかしなければって、素人の私でも思います。署名の締め切りは2013年1月12日。
署名活動といえば、私が雅楽を始めたころもありました。「邦楽教育を推進する会」当時、学校音楽教育は西洋音楽一辺倒でした。今でこそ、学校に邦楽とか、民族音楽とか、雅楽とかのグループが出向き、予算もつくようになりましたが、そのような道すじをつけてくださったかたがたに、我々はもっと感謝すべきではないでしょうか。とりわけ、運動の始まる前にお亡くなりになった小泉文夫先生とか。そして、もし我々がそのような仕事の機会をもったとき、より真摯に取り組まなければならないと思うのです。
鵜殿のことも、我々の利益というよりは、次の世代のための取り組みですよね。
残念ながら我々は、皆が皆、マザー・テレサのような、無償の愛を捧げることのできる高潔な人間ではありません。欠点も多いし、すぐ怠けるし、損得も考えるし、嫉妬もする。近年になってようやく知ったのですが、損得を離れて何かのために行動すると、とてもすがすがしいのですよね。それだけはどうしても、お金では買えない。
まだ鵜殿に行ったことのないかたは、観察会などでぜひ、小山先生のお話を聞く機会を持たれたら良いと思います。遠いというかたは、お近くのヨシの群生地について調べてみるとか。きっと、いろいろな問題が見えてくると思います。
追記 (2014年9月30日)
その後、2013年6月24日、私は、雅楽だよりのSさん、東大教授のYさん、阪大準教授のHさんとともに上牧を訪ね、実行組合のかたのお話をうかがいました。
主観と主観とがせめぎあい、すれ違い、物事をありのままに見つめることは、なんと難しいことなのでしょうか。私自身、人の言うことは鵜呑みにしないよう心がけてきたつもりではありましたが、人のフィルターを通してしか見つめてこなかった部分もあり、大いに反省をした次第です。具体的には、小山先生おひとりが鵜殿を守ってきたように書いてしまったことです。
私が拙ブログで書いたことは、知識も足りないままに活動が始まってしまったために、大変未熟なものでありましたが、かといって、議論のつくされた成熟したものも見出すことはできません。まだまだわからないこと、解明されていないことがあって、果たして解明できるのか、解明してしまってもいいものなのかも含め、まだまだ未来の可能性というものを信じています。
この問題を通して、篳篥のヨシがいかに稀有な存在で、恵まれた奇跡ともいえる偶然の積み重ねによってはぐくまれてきたものだという認識を持つことができ、自然の恵みに感謝の念をあらたにしました。
雅楽界はきわめて保守的なところです。そこにあって、署名が約7万9千筆(2013年11月18日現在)集まったということは、大変重たいものがあると考えます。