木津の勘助さん
19 Oct. 2012
先週、いつもお世話になっている神社のお祭りにて奏楽をし、そのあと、そのまま本殿にて講談が始まりました。
「木津の勘助さん」こういう話を偶然聞けるというのも、難波の神様のおはからいということで。
「世のため、人のため、お上にさからってでも」という義民の話は、たいがい悲劇に終わります。「ベロ出しチョンマ」という、子供までが犠牲となった悲しい話もあります。
この講談、面白くて、吹き終わった笙を温めながら笑いこけていたのですが、やっぱり悲劇の予感。勘助さん、善いことをしすぎて、ついに飢饉のさい、米蔵を破って民に分け与えてしまいます。勘助さん、磔にされてしまう、と思ったら、なんと肩すかし。ごく近いところの島流しですむというハッピーエンド。
これは本当にあったことなんだろうか。あるいは「世のため、人のため、お上にさからってでも」という話を悲劇に終わらせないという、難波の人たちの心意気というものを、強く感じたのでした。
先週、いつもお世話になっている神社のお祭りにて奏楽をし、そのあと、そのまま本殿にて講談が始まりました。
「木津の勘助さん」こういう話を偶然聞けるというのも、難波の神様のおはからいということで。
「世のため、人のため、お上にさからってでも」という義民の話は、たいがい悲劇に終わります。「ベロ出しチョンマ」という、子供までが犠牲となった悲しい話もあります。
この講談、面白くて、吹き終わった笙を温めながら笑いこけていたのですが、やっぱり悲劇の予感。勘助さん、善いことをしすぎて、ついに飢饉のさい、米蔵を破って民に分け与えてしまいます。勘助さん、磔にされてしまう、と思ったら、なんと肩すかし。ごく近いところの島流しですむというハッピーエンド。
これは本当にあったことなんだろうか。あるいは「世のため、人のため、お上にさからってでも」という話を悲劇に終わらせないという、難波の人たちの心意気というものを、強く感じたのでした。